戸塚ヨットスクール戸塚先生を観ながら思うこと

先日、アベプラに戸塚ヨットスクール校長の戸塚宏が出演していた。
少し前にも出演しているのを見たけれど、会話が全くと言っていいほど成り立っていなかった。
戸塚ヨットスクールの事件を知らない人は、ネットやウィキペディアで簡単に調べられます。

最初から話を聞く気がなさそうで、すぐに「バカ」「リベラル」などと言い、聞いた質問に対して、その一部の意味をしつこく問いただしてくる。もうどうでもいい時間が流れていた。
今回は、そんな戸塚先生の思想を後世に残すために、ある青年が戸塚先生の話を投稿するYouTubeチャンネルを始めたことが話題となり、アベプラで取り上げられたという流れらしい。
まあ、そのYouTubeチャンネルは、今後の収益を目指して戸塚校長を矢面に立たせているだけのように思うし、だからこそ顔を出していないのだと思うけれど、それはどうでもいいし、興味もないので見ていない。

あくまで、今回と前回のアベプラに出ていた戸塚校長を見て感じたことをダラダラと書いてみようと思った。

とにかく番組としては成り立っていない感じだった。戸塚校長は前に話したことを繰り返しているだけで、録音したものを流しているのと何も変わらない。
あの様子だと、まず戸塚校長の話だけを聞く回を設け、その後日、戸塚校長不在で意見を交換する番組にした方が、まだ見やすかったような気がする。ただ、それだと結局、戸塚校長の本質が分からないまま終わってしまう気もした。
「でも、人が亡くなるのはダメですよね?」といった質問に対しても、答える気がなさそうで、自分の言いたいことを言い始める。
そうであるならば、体罰の是非を議論するよりも、彼の生い立ちや幼少期のことを聞いて、戸塚校長がどのような人生を歩んできたかを知る方が、よほど意味があると思った。
そこで少しネットで戸塚校長のことを調べてみたが、彼の両親がどんな人だったのかは見つけられなかった。姉がいたことは分かったが、それ以外はほぼ不明だった。
分かるのは戸塚ヨットスクール以降の話で、せいぜい学生時代にヨット部の主将だったということくらいしか分からなかった。

でも、繰り返される戸塚校長の話の中で気になったのは、やたらと「リベラル」という言葉が使われていたことだ。そこに違和感を覚えた。
一般的に「リベラル」という言葉は、個人の自由や人権、多様性を尊重し、政府による福祉や社会的平等の推進を重視する立場を指すことが多いが、戸塚校長が使う「リベラル」は、どうやらアメリカに対する言及のように感じた。アメリカの自由主義的な価値観が日本を駄目にしているという、強いアメリカへの嫌悪感が伝わってきた。
戸塚校長は84歳とのことで、計算すると終戦を5歳で迎えたことになる。彼は日本統治下の朝鮮で生まれ、まだ日本が強かった時代を知っているかもしれないが、5歳で終戦を迎え、その後の苦難の時代を生き抜いてきた。両親が戦争で亡くなったか生き延びたかも調べても分からなかったし、彼がどんな生活をしていたのかも不明だった。

ただ、なんとなく感じたのは、戸塚校長は日本が戦争で負けたこと、そして戦後の幼少期の経験が彼の考えに大きく影響を与えており、単純に言えば、日本が第二次世界大戦で敗れたことを受け入れられず、次の戦争では日本が勝てる国にしたいと考えているのではないかということだ。そのために帝国主義を再建し、今度こそアメリカに戦争で勝つ国にしなければならないと信じているように感じた。

だからこそ、「厳しさ」や「強さ」への執着や、リベラルな価値観への反発は、第二次世界大戦後の日本の変化や敗戦による価値観の転換に影響され、現在のような思想に至ったのではないかと思いながら番組を見終わった。

戸塚ヨットスクール